BSA-SRについて⑤|John McLaren

前回まで、英国側・日本側のサイトがGold SRをどう語っていたかを見てきました。
気になるのが、日本側のサイトには登場しない名前――デザイナー、John McLaren。
英国側の紹介文には別ページまで用意され、「Designed by John McLaren」と明記されていたのに対し、日本側の紹介文には一度も出てこなかった人物です。
この一連のシリーズの最後に、この人物を追ってみたいと思います。

John McLaren – Chief Designer BSA Company Limited(和訳)

まず、紹介ページBSA/JohnMcLaren.html本文を確認しておくと…

ジョン・マクラーレンは1934年、英国ロンドンのランベスに生まれた。少年時代、AJS/Matchlessのコンペティション・ショップでバイクのキャリアをスタートさせる。1960年代、成功を収めたAJS G50・7Rのレース活動に深く関わった後、1971年、発足したばかりのNVT体制下でNortonに加わった。彼はまたたく間に頭角を現し、John Player Nortonレースチームへと上り詰める。そして1978年、Norton初の空冷ロータリーエンジン開発に一部の責任を担った。1994年、BSA Companyへの移籍により、ジョンのバイクデザインの才能が開花することとなる。Gold SRは、彼の豊富な知見の証となる、数ある設計の一つに過ぎない。

© Copyright BSA Regal Group, 1998. All Rights Reserved.

コピーライト表記は1998年でした。そのまま8年近く同じ人物紹介がずっと掲載され続けたわけですから、英国のエンスージアストたちには著名な人物だったのでしょうか。
John McLarenは一貫して、英国市場のBSA SRにとっての「顔」であり続けていたということでしょうか。

John McLarenのキャリア

AMC時代(1950〜1969年)

McLarenのキャリアは、AMC(Associated Motor Cycles、AJS・Matchlessの親会社)の競技部門から始まっています。
元AMC社員たちが運営する記録プロジェクト「Working at AMC」には、彼の在籍記録と、1966年に撮影された一枚の写真が残っていて、写真には、コンペティション部門の建物の前で、Bert Lambert、John McLaren、Wally Wyattの3人が並んで写っています。

写真:Working at AMCより転載
出典:Race Shop(競技/レース部門)のページ
http://www.workingatamc.london/raceshop.html

この記録によれば、McLarenの在籍期間は1950年から1969年――BSA側が語っていたよりも長い期間、AMCに在籍していたことになります。
当時のAMCは、AJS 7R(通称”Boy Racer”)やMatchless G50といった名機を送り出していたレース部門を抱えており、McLarenはその競技部門(スクランブラー等を手掛けるセクション)に籍を置いていたようです。

John Player Nortonの現場責任者

そして1970年代初頭、McLarenはNortonへ移り、たばこブランドJohn Playerがスポンサーについたレースチーム「John Player Norton(JPN)」で中心的な役割を担うことになります。

このチームの設計者兼ライダーだったPeter Williams自身が、自らのウェブサイトにこう書き残していました。

Like so many ‘original’ ideas, the 1973 John Player Norton was not entirely original and, of course, it was not all my own work. It was created by a team led by John McLaren…
(1973年型John Player Nortonの多くの”独創的な”アイデアがそうであるように、これも完全にオリジナルというわけではなかったし、もちろん私一人の仕事でもなかった。これはJohn McLarenが率いたチームによって作られたものだ……)

出典:Peter Williams「The John Player Norton Monocoque」
https://peterwilliamsengineering.wordpress.com/2018/03/19/the-john-player-norton-monocoque/

Peter Williamsといえば、1973年のフォーミュラ750イギリスGPで優勝し、JPNの象徴的なモノコックフレームを設計した本人。
その彼が自らの功績を語る文脈で、あえて「McLarenが率いたチーム」と名指ししています――これはBSAの宣伝文句ではなく、当事者による彼に対する公平な評価でしょう。

英国のバイク愛好家フォーラムに残る当時のチーム史(David Bernard氏がNorman White氏の協力を得てまとめたもの)にも、1972年当時の体制がこう記録されています。

The Norton Team for 1972 consisted of Team Racing manager: Frank Perris, Foreman: John Mclaren, Drawing office: Basil Knight, Machinist: John Fox, Mechanic: Dave Ludwell (engines) and Reg Paynter (engines), Welding Robin Clist, Mechanic: Peter Pyket and apprentice Mike Davis.
(1972年のNortonチームの体制は、チームマネージャー:Frank Perris、フォアマン(現場監督):John McLaren、製図:Basil Knight、機械工:John Fox、機関担当:Dave LudwellとReg Paynter、溶接:Robin Clist、整備:Peter Pyket、見習いMike Davis、という顔ぶれだった)

出典:David Bernard「Straight shot manifolds on JP Norton」(Access Norton Motorcycle Forums)
https://www.accessnorton.com/NortonCommando/straight-shot-manifolds-on-jp-norton.33855/

同記録には、1972年のデイトナ200に向けてチームを鼓舞し、週7日・1日12〜15時間という過酷な作業体制を率いたエピソードも残されています。

さらに、2003年9月に英国ナショナル・モーターサイクル博物館が火災に見舞われた際、被災したJPN車両の修復のため、Norman Whiteが元チームメンバーを再結集させた記録にも、McLarenの名前が「race shop foreman(現場監督)」として登場してきます。

White assembled a restoration team consisting of members of the original JPN race team: race shop foreman John McLaren, mechanic Peter Pyket, and draftsman Basil Knight.
(Whiteは、オリジナルJPNレースチームのメンバー――現場監督のJohn McLaren、整備担当のPeter Pyket、製図担当のBasil Knight――で構成される修復チームを組織した)

出典:Wikipedia「John Player Norton」
https://en.wikipedia.org/wiki/John_Player_Norton

Norton Commandoの開発現場にも

JPNチーム結成以前、McLarenはNortonの主力市販車Commandoの開発にも関わっていたようです。
Norman White氏の著書『Norton Commando Restoration Manual』には、1968年にフレーム問題を巡って米国の輸入代理店Berlinerへ派遣された記録や、1967年のアールズコート・ショーで発表された試作Commandoの組み立てを手掛けたメンバーの一人として、McLarenの名前が挙がっていました。

出典:Norman White『Norton Commando Restoration Manual』(The Crowood Press, 2021, ISBN 978-1785007590)
参考:Norton Owners Club紹介ページ
https://www.nortonownersclub.org/news/norton-commando-restoration-manual-new-book-norman-white

そしてBSAへ、Gold SRの設計

1994年、BSA Companyに参画

1994年、McLarenはBSA Companyに加わります。
ちょうどBSA-Regal Groupが結成され、サウサンプトンへ本拠を移した年ですね。
ここで彼が手掛けたのが、このシリーズの主役であるGold SRでした。

同時期にもう一台設計されたBSA

面白いのは、彼がGold SRと同時に、もう一台、自分の名前をそのまま冠したバイクを設計していたことです。
50ccのモリーニ製エンジンを積んだ小径ホイールのミニモトクロス車で、1997年――Gold SRと同じ年に生産が始まっています。
このバイクは後年「BSA John McLaren」というモデル名で呼ばれるようになります。

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10年後には電動バイクに

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それから時代は下って2014年、英国のRipe Motorcycles社(代表Chris Pellett氏)が、このミニモトクロス車の設計を基にした電動バイク「BSA John McLaren TAG 350」を発売しています。

当時の業界紙British Dealer Newsの取材に対し、Pellett氏はこう語っていました。

The TAG 350 continues to use much of McLaren’s excellent original design…
(TAG 350は、McLarenの優れたオリジナル設計の多くを、今も受け継いでいる……)

出典:「Buzz about a new electric BSA」(British Dealer News、2013年10月23日)
http://britishdealernews.co.uk/general-news/buzz-about-new-electric-bsa
写真:RIPE MOTORCYCLES BSA SPECIALISTS 公式サイトより転載
出典:BSA John McLaren TAG 350 ALL-ELECTRIC Children’s Off Road Trail Bike
http://www.ripemotorcycles.co.uk/RIPE%20tag.htm

Gold SRの生産が終わってから10年以上が経った後も、彼の設計そのものが「復刻に値するもの」として業界に評価されていたことになります。
技術者としては、これ以上ないかたちでの評価でしょう。

不明な情報

ロータリーエンジンの謎

一方で、BSA自身の経歴紹介ページにはっきりと書かれている「1978年、Nortonの空冷ロータリー(ヴァンケル)エンジン開発に一部責任を持った(”partly responsible”)」という一文は、独立した裏付けが取れませんでした。

Nortonのロータリーエンジンの開発史は、実はかなりしっかり文献化されています。
空冷版の開発者はDavid Garside(BSAの研究施設Umberslade Hallで開発、1982年のSAE技術論文の著者でもある)、レース用ロータリーの開発者はBrian Crighton(1984年にNortonへ入社)というのが定説で、この文献群のどこにもMcLarenの名前は登場しません。

彼がNortonの開発部門で長く現場を率いていたことを考えれば、末端で何らかの形で関わっていた可能性はゼロではないですが、少なくとも独立した記録では確認できません。
この点は、BSA社自身の記述にのみ存在する、裏の取れていない参考情報として扱っておきます。

John McLarenは今…

最後に――John McLarenは既に亡くなっています。

JPNチームの盟友だったNorman White氏は、2020年に出版した著書『Norton Commando Restoration Manual』を、McLarenへの献辞付きで世に出しています。
さらに、英国のバイク専門誌Classic Racer(2021年8月17日号)に掲載された読者投稿には、こう記されています。

Sadly, the surviving team members have diminished with the passing of John Mclaren, (a gifted fabrication mechanic)…
(残念なことに、(JPN)チームの現存メンバーは、優れたフェブリケーション(金属加工)技術者だったJohn McLarenらの逝去により、その数を減らしている……)

出典:「READERS WRITE」(Classic Racer、2021年8月17日号)
https://www.pressreader.com/uk/classic-racer/20210817/281552293923760

正確な没年月日や、正式な訃報記事まではわかりませんが、少なくとも2021年8月の時点で、彼が既にこの世を去っていたことは間違いなさそうです。

まとめると

AJS/Matchlessの競技部門で腕を磨き、Nortonでは伝説的なレースチームの現場を率い、最後にBSAで一台のクラシックバイクと、自らの名を冠したもう一台のバイクを世に送り出した男。
派手にスポットライトが当たるタイプの人物ではなかったでしょうけれども(英語圏の一般的な記録にもほとんど名前が残っていません)、
それでも、Peter Williamsの証言や、元同僚による献辞、そして彼の設計が10年以上の時を経て電動バイクとして復刻されたという事実は、静かに彼の仕事の重みを物語っています。

Gold SRという、日英のオーナーの手元に今も残るこのバイクは、そんな一人の技術者が、その職業人生の最後に手掛けた仕事だったようです。

BSA-SR一次情報の発掘は、ひとまず一区切り

今回いろいろ調べ物をして、海外のBSA Gold SRオーナーともやり取りすることができました。
日英合わせて500台(?)程度の生産数ですが、ヤマハSR由来のアフターマーケットの広大さの恩恵もあり、意外と情報量は多い。単なるマイナーなビンテージバイクにとどまらない、掘り下げの楽しさがありましたね。